工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

ウクライナ侵略の気づき

ロシアがウクライナに侵攻した。明らかな侵略行為であって何がどうあろうとも肯定できない。戦争反対の声を上げていきたい。

わずかな寄附をした。

 

今、40年ぶりの緊急国連総会を観ながらこれを書いている。国際社会の結束を願うがそんなウクライナの戦禍の中で、いくつか気づきがあったので自戒を込めて書き残す。

 

・やはり専門家の意見は頼りになる (が戦争中は色んな専門家も湧いてでる)

この戦争がはじまると意識させれたのは小泉悠(東京大学専任講師)の発言「ロシアの軍事を15年眺めてきたがこのような事態はなかった。動向はプーチン次第」というものからだった。

小泉氏だけに依拠するものではないが、他の専門家も含め兵の配置から「何もしないということはないだろう」というのは分かった。

今、侵攻がはじまって1週間、数多くの論考が出ているがやはり長年の研究者の言葉は理解を助けてくれる。

その一方でバックグラウンドが経済だったり社会だったり、最悪、欧州に詳しいなどで解説している人々が湧いて出てるのだが‥‥‥希望的願望や「過去そうだったから」と言う論拠だけだと腑に落ちないものも散見する。

情報戦という言葉は当事国同士によるものだけではない。「戦争」という非常事態には平時の合理的判断や基準では理解できないことも多い。究極的にプーチン氏のアタマの中は全くわからない。正直言えば考えてもどうしようもない、今知る手段がないことは戦争ではものすごくあるのだろう。日本での情報の混乱もまた自分自身の知性を守るために自衛しなくちゃ、と。自戒を込めて思う。

知ることが出来るのは(もしそれが正しければだけど)軍事的、被害、などの事実で数であって他のことは本当に分からない。戦争が終わったらようやくゆっくりとわかるだけだろう。

 

・CNNやBBCはすごい

数日内に首都キエフが陥落するのではないか、と米国、英国の軍事機関が伝える中、防弾チョッキやヘルメットで現地に特派員が留まり続けている。

ポーランド国境に近いウクライナ国内にCNNはエースキャスターを派遣して報道している。そしてウクライナ国内6ヵ所で取材している。

もちろん現地にいさえすれば事実が分かるわけではないが、空襲警報や爆発音をライブで聞かされればは戦争の悲惨さは伝ってくるものだ。ポーランドへ逃れようとする難民の生の声は痛ましい。

このような報道は反戦の世論を形成する。制裁による自分達の痛みを甘受させる。何より戦争の被害を我がごとのように想像させる。

この場所にジャーナリストがいることは充分、意味がある。全くジャーナリズムの意味が我が国とは違う。ただただ敬服する。

 

・認知や倫理がバグらないようにしたい

ここからが本題の自戒である。戦時だからといって自身が持っている「戦争反対」「戦争は不幸なもの」という倫理がおかしくならないようにしたい。そしてまた国際法が有効であること。自分の国も国際社会の一員であることを忘れてはならない。

世界が戦時という異常事態になるとそれだけでパニックになってしまう人々をSNSなどで見る。異常事態なので見たいものを見たい、や事実から目を背ける。あまつさえ虚言を信じる。ということも横行する。流れるあまりに多くの情報を処理できないと認知はバグる。極端な意見がまかり通ったりする。

だがあまりに沢山の情報を処理する必要はないし、むしろ害悪ですら有ると思う。メンタルヘルス的にも日常生活的にも。どのみちわれわれには(当然ながら専門家もその場にいるジャーナリストも)すべてを解ることなんて不可能なのだ。

ただバグっちゃダメだが、戦争に反対するさまざまなアクションを起こすことはできるし、募金先はある。さまざな制裁措置を支持することはできる。

各国の国連大使の戦争への抗議を聴くことはできるし、信頼にたる報道を見ることは出来る。もちろん我が国は自由な国だ。情報をシャットダウンすることもアリだ。

 

もちろん私は、この異常な事態にあたって自分の認知や倫理感に絶対の自信はない。

が、私は戦争に反対し続けるために。。。

用法容量をコントロールしながらこの不条理な事態の情報を取り続ける。出来るアクションを取り続ける。無力感にさいなまれる必要もないし、あきらめもしない。先の大戦の反省はここにこそ活かされるはずだと思うのだ。