工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

トウキョーの果て

昔、フィツジェラルドがビルに登って「なんだニューヨークに果てがあるじゃないか」とかエッセイに書いてた。

行政の境の移動自粛と言われましても、荻窪辺りに行くと、高いビルはないなぁと思うし、練馬でもさいたまのデカいマンションが見えたりする。

東京の境なんて限りなく曖昧でネズミーでも、空港でも、町田!?でもなんだかかんだかどこまでが東京の生活圏なのかさっぱり分からない。だから隣接して生活圏や仕事圏が東京だという人は電車や道が通っていれば東京かも知れないし、郊外って言えばざっくり国道16号線なのか、環状線なのか。首都高なのか。さっぱりと東京の果てはない。

そんなことだからトーキョーってきっと概念に過ぎないけどSARS-COV2は人で伝搬するので、東京に依拠して生活する人にとってはその導線そのものが感染経路なのでクラスターと言われて夜のお店と言われても実にピンとこない。

トーキョーではあるが多摩の場末の熟女クラブはきっとクラスターにならないし、閑散とした幹線のカラオケ屋はクラスターにならない「可能性が高い」と思う。

トーキョーとかの大都市が無限に増殖する概念と、ある職種や場所が感染に縛りつけられたり、反対に広い意味でのトーキョー基準で行動を制限されることはまるで全国放送のテレビ番組でもやたらと都市の話しかしないように蝕んでいくもう一つの病のようにきっと果てがないのだと、ウイルスに教えてもらったりする。