タモリ倶楽部が終わる
タモリ倶楽部が終わるそうだ。四十年続いたらしい。 残念だとは思うが潮時では有ると思う。沢山のタレント。芸能人という意味ではなくて、安齋肇やみうらじゅんらの有名どころではなくても、一般のマニアだったり専門家だったり、市井の人々をメインのゲストに迎えた番組だった。 番組にこれと言った特徴があるかと言えばない。 だいたいがロケか簡素なセットと「予算はないが興味はある」的なネタで勝負していた。 四十年というと80年代に始まった訳で当時のノリが残っている番組だったのかもしれない。 しいて言えばモデルだとかミュージシャンだとか「何故ここにいる?!」的なゲストが頻繁に、脈絡なく特集の趣旨とも関係なく居て、まぁそこは変だった。もっと大きな番組にはむしろ出ないような人々なのでね。 「タモリ倶楽部なら良い。ゆるいし」そんな雰囲気は確かにあった。
タモリこと森田一義氏。を初期を除いて私は面白いと思ったことがない。 いや正確には『今夜は最高』と言う音楽バラエティは好きだった。大人の悪ふざけで。構成が高平哲郎氏だったことも大きかったろう。
タモリは基本的に非常に真面目な仕事人。で、本人が面白いというより(特にごく初期を除いては)面白がる人だと思う。かと言って持ち上げすぎる訳でもつまらなさそうな反応をし過ぎる訳でもなく態度において中庸を心がけた人ではないかと思う。 でなければ真昼間のテレビ番組『笑っていいとも!』を何十年も続けられたりはしまい。 この番組ではテレホンショッキングと言う芸能人が芸能人に電話をかけて明日のゲストを決めると言う名物コーナーがあった。かつて私の知人でアレを本当に仕込ではないと信じてる人がいた。 まあ素朴な子どもだったがひねた私は「そんなもんスケジュール押さえてあるに決まってんじゃん」と冷めた目で見ていた。 まぁあのお約束を(流石に後半は半ばバレ気味だったらしいがよく知らない)何十年もやり続ける演技は凄いものがある。
タモリが何をする人か。確かに司会者で、ミュージシャンで、お笑い芸人だ。 で、あるけれども良い意味でどれが取り立てて秀でているとも思えず、むしろ押し出しが強すぎない所がテレビ的に丁度良かったのではないかと思う。 サングラスは彼のトレードマークだが目が露出しないと言うのは(もちろん、彼の片眼の問題があったからではある)タレントとしてはハンデでもあった筈だ。なのだが彼は大物になり、お茶の間の人気者になった。 何故かは何十年経とうとも私には分からない。丁度良かったからとしか理由は思いつかない。
タモリが出演した映画を2本観たことがある。かなり昔のものだ。 そこでは単なる冴えない男性が映し出されていて、森田一義自身はこういう人なのか、と理解した。もちろん演技なんだけど。
80年代から続く番組が終わる。そのサブカルチャーっぽさをひきづったまま。サブカルチャー=雑誌、テレビ、ビデオ、音楽、ファッション、映画が始まった70年代から勃興した80年代。日本の景気があやしくなった90年代には悪趣味になり、2000年代には衰退やら分散やらを繰り返してきた訳だ。鬼籍に入った人も少なくない。 そんなサブカルを最も汎用で中庸で人気モノとして芸能界の絶頂に経験し、にも関わらず師を持たず、弟子も取らなかった森田一義が最後までやり続けたのは、悪ふざけの時代の終わりとしてきっと相応しい。 足掛けほぼ半世紀。長い長い日本の悪ふざけの時代の終わり。 世界を見渡しても、もうサタデーナイトライブぐらいしか残っていない。 お尻フリフリのオープニングが見られるのもあと数回。 サブカル。無論長過ぎた祭りではあった。ただ無用のモノが世の中から無くなるのは、少しだけさみしい。