信用の失われた社会はどうなるのか【香港について】
記録がないとかの例の宴会の話じゃない。
香港だ。
日本で考えると「警察」は割と信用されている方だと思う。先進国とそうでない国を分けるものとして、司法が信用されているか否かということがあるとすれば多くの先進国の警察は「比較的」信用されていると思う。
もちろん日本の司法制度。とかく逮捕状が出やすすぎるとか、起訴したらほとんど有罪だとか、取調べの可視化が不十分とか警察、検察不祥事は身内で隠すとか沢山問題を抱えているが(そして私も警察にカバンやらクルマやらを調べられて全て差し出しても納得してもらえないイヤな思いをしたことはあるが)とは言っても現場の警官がそれほどまでに倫理観がないと思わない。
近所にどうも政治家がいるらしく暑い中、寒い中、警戒にあたってれば「お疲れさまです」の声かけをする程度に親近感はある。
紛失物の調書一つの中の無駄話でも親身な警官もいる。末端の街場の警察官の多くは(時々、意地悪だったり横柄な年長者もいるが)概ね警官としての職務をまっとうしていると思う。
実際の検挙率、犯罪捕捉率、もちろん犯罪時の対応の手際、不手際、などではなく社会秩序の維持には素朴な「警察官は割と信用できる」という感覚はとても大事だと思う。
逮捕出来る、拳銃や警棒を所持している、こう言った権力を行使できる身近な存在なのだから当たり前ではある。警察権力が買収や汚職にまみれている国はあまり先進国ではないと考える。
話はもどって香港だ。今年、大規模なデモであり得ないぐらいの逮捕者、市民の被害、有毒成分を含む催涙ガス、暴力行為が一般市民に行われた。
無論、警官は上からの命令を実行したに過ぎない。BBCの報道によればそれに対して本来の社会正義に反していると感じる警官もいると言う。
先日、区議会選挙が行われた。民主派の圧勝で終わったが小選挙区制による効果が大きく、実際の投票数の率は民主派が6割、親中派が4割で報道で感じるほど全員がデモにシンパシーがある訳ではない。もちろん親中派の投票理由がビジネスだったり、本土から来たという理由であったとしてもだ。
警察権力に市民の信用がなくなってしまえば、社会秩序の根幹は揺らぎだす。犯罪捕捉率は著しく落ちるだろう。それに市民に有毒な催涙ガスを吹きかけ、放水した警官に何か犯罪相談をしたいと思うだろうか。
かつて日本の学生運動華やかりし頃は、運動家はエリート学生で、警官はそうでない。という認識から緩やかに信用は回復されていった。運動の過激化で市民の共感も得られなくなった。
わたしはベトナムに平和を市民連合の研究を一時していたが、その記録そのものがイデオロギーで協力していた一般市民や文化人がが運動から弾き出される経過であった。
香港情勢は余談を許さない。どうなるのか見当もつかない。わたし自身は平和で香港市民に権利が保障されることを望んでいるが、中国という巨大なものと対峙して完全勝利が見込めるほど楽観視は出来ない。
とは言え生活は続く。身近な警察官が信用を失うとき、社会は何を一つの正義として運営されていくのだろう。
いや、行けるのだろうか。
香港は先進的な地域だ。イギリス占領下からある種の自治と経済を運営してきた。これは社会秩序が保たれていなければ不可能だったろう。
何らかの落としどころが香港にもたらされた時に、まったく信用されない警察と市民が同居してしまう。
その時に言ってしまえば、どんな社会風土。権力への信用が失われたコミュニティがどのように維持されるのか。再生するのか。
日本を振り返っても、各先進国でもこんな事態はなかったように思う。警察と軍隊はある程度の信用がなければ社会はもたない。
だからこそ香港の対抗する市民は、警察をもう一度彼ら彼女らが信用できるようにするため、その内部の調査を求めている。
香港がそのような社会の一つの実験場になってしまうことは香港を知っている人間として、とても悲しい。