工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

わたしは何故セキュリティを(も)仕事にしたのか

 

ほとんどの仕事はITのエンタメ絡みだが、この一年半ほど、セキュリティ商品を扱って学んできた。仕事だから詳細は言えないけど何とか今年からお金になる。

 

さて何故わたしはセキュリティをやっているのか。

 

商品の特性もあるけれど、スマホであれセキュリティ商品であれ人間の信用「何を信じて生きているのか」に関わっている。

わたしの専門はコミュニケーションだが「信じている構造」はずっと学問をやっている頃から(今もやってる?)わたしの関心の一つであった。

 

騙されることも信じることが叶えられることも表裏一体だ。いったん信じなければ騙されもしない。

プラセボも、初詣も、宗教も、法律も、お料理も健康も刑事罰も生活の大部分はある程度の信用がなければ成立しない。

セキュリティは多くの人にとってブラックボックスだと思う。

 

完全なる安全などと言うものはないと思うけれど、ITは特にしんようと裏返しの不安がまだまだつきまとっているし、分からないと言うことが不信を生むし、これを利用した詐欺師も事件も後を絶たない。

 

なのでセキュリティをむしろ安心できるものとして研究し、仕事の一部にすることにした。

確かに技術的に難しい部分はあるが、恐怖を煽るのではなく、むしろある程度の安心を担保するために仕事にしている。

 

どうも世の中は特に日本では、ほぼ完全な安全安心を求めたがる。

しかしネットの世界やテクノロジーでは目に見えないこともあり、それが信じる世界として成立しづらい。

それを翻案して普通の人々、働く人々、生活者の目線まで下ろして行きたい。

難しいことを専門家に任せず、ある程度の理解でも安全性が保証されること。保険でも証券でも、難しいことを甘言に変えて騙しとは言えないがそれに近いことを感じることがある。

 

信用創造の過程が分かりやすくなり、『普通の人々」が使えるものにすること。それが実現することは21世紀の課題だと思う。

出来るかどうか分からないが個人情報が自分でコントロールできること。このことこそある種の自己責任を果たすことで、生き死にの問題まで自己責任にさせられることはない、とわたしは思っている。

テクノロジーにある程度知識がある(と考えている)わたしですら完全にそれができているとは言えないが、自分の情報をある程度管理できることはわたしの自己責任だと思う。

 

少し大げさだけれど、21世紀の初頭には少しづつでも何かを信じられるようにテクノロジーを使えなければ、疑いと他人への不信が蔓延してしまうと思う。既にそうであるとも思うけれども。

 

上記のような理由でわたしはセキュリティに挑む、ネガティブでなくポジティブに安心感をテクノロジーで実現すること、理解しやすくすること、生活や仕事に支障を感じないこと。これは今年のわたしの課題だし、またわたしの「信の構造」を解明する人間への関心の一つでもある。

どんなに技術や世の中が複雑化しようとも何かを信用できなければ生きていけないのだ。だが、わたしの国ではそれが異常に簡単にしようとするあまり成立できてないと考えている。

 

セキュリティというと何か遠い世界のもののようだが、わたしはそれを生活圏にまで下すためにセキュリティーヒトが安全だと考え、生きやすくすること。

そのためにセキュリティの仕事をしているのだ。