誰がためのワイダニット
ミステリー推理小説にはワイダニット、フーダニット、ハウダニット、という言葉がある。Why done it? Who done it? How done it?
それぞれなぜ?誰が?どのように犯行に及んだのか。という意味だ。
トゥルーマン・カポーティはミステリ作家ではないが悲惨な実際の殺人『冷血』で加害者、被害者を取材し、期せずしてノンフィクションノベルの最初の小説家となった。加害者の境遇に思いを寄せたらしく、この本はよく売れたがその後長編が書けなくなった。
昨年の夏、ひどい殺人事件があった。京都の放火で36人が亡くなり、まだ入院中の被害者もいる。加害者も火傷をし、昨日、半年強の加療ののち、まだ歩けないが逮捕され、取調べをうけている。
もう、フーダニット、ハウダニットはわかっている。
しかしワイダニット。なぜかは分からない。その動機を解明したところで常識的な意味で理解できるかどうかは分からない。もちろん遺族被害者にも腑に落ちることもないだろう。
それでもなお、加害者自らが裁判も通じ理由を語ってこそ事件は新たな姿を示す。そしてこの大量殺人の記録と判例は残る。
このような加害者を医療従事者が懸命に看病をし、しゃべれるようになるまで回復させたことに異論がある人もいるかもしれない。
だけれども加害者が償えるかどうか、何故かが理解できるかはさておき、当事者が語ることでこの事件が何だったのか少しでも記録が深く残り、考えられ、事件の全貌も、たとえ加害者側からのものだとしても、わかる。
誰のためでもないかもしれないが、陰惨な事件のワイダニットは後学のためにもそして、事件が風化されないためにも。加害者自身によって語られねばならない。
わたし自身この事件は、無論カポーティほどではないにせよ、未だに傷になっている。
少しでも事件が加害者によってWhy?を語られることによって、故人の犠牲が後に残る。このために医療従事者は努力してきたのだと思う。
遺族や関係者の計り知れない痛みはわからないが、わたしはこの医療者たちに感謝したい。