工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

法空間学についてのメモランダム COVID-19下において

2020年3月からの本邦のCOVID-19状況下で、当初わたしはこの国の「公共」について検討すべきものと個人的に考えていた。

だが、それは違った。

 

感染性の強いウイルスであるため保健所の管轄となる。保健所は地方行政の所管であるため、対策の現場は地方自治体単位となる。

ここでは地方自治体への届出、許認可である店舗やサービス業は問題とならなかった。

 

しかし奇妙な法や法令の適用空間のねじれは発生した。顕著なのが東京を中心とする関東圏、大阪を中心とする関西圏である。

 

生活圏、商圏、労働圏と自治体をまたいでしまう関係が厳然と露呈し、都道府県の上位の行政単位が中央政府しかないため、実効性のある政策が実現しづらくなった。

他の幾つかの国と異なり、地方行政政府がないことで地方自治体における令の制定では適用不可能な空間が出現した。

これを「実効法の適用不可能空間」と仮に名付ける。

法社会学が議論してきた「生きられた法」とは異なり、「生きている圏」と行政単位が不一致になっていることを指す。

単なる徴税および行政サービスは居住地単位で齟齬がなかったのかもしれないが、本来「生きている圏」で行政措置、特に地方自治体では噛み合っていない。

 

中央政府の法が一律平等に施行されることは当たり前であるとしても、地方自治体単位だけで「生きていない国民」がいる以上、条例や行政命令は国民の生活空間に届かないこととなり、これは行政単位の不手際となる。

 

従前まで法学においては「法の適用範囲」については議論があっても地理や生活圏を含む「法の適用空間」については議論が少なかったように思う。

対応の良し悪しはともあれ、この場合、行政が生活圏とある程度一致している州政府を持つ他国の「法空間」は災害、医療、警察などのサービスにおいて有利に働いたのではないかと考える。

少なくとも東京周辺の一都三県という生活圏が交差する行政での各自治体の対応の違いのようなこと発生しなかったはずだ。

 

わたしは公共圏の問題としてこのような疫病の流行を考えようとしていたが、異なる移動を含めた「生きている場所」と法的に地方行政が可能な空間の齟齬がいくつかの自治体で発生し、その不可解さの方が気になった。

 

法が現実の生活圏に沿って作用可能な地理的、移動的空間について議論が必要なのではないか。

道州制地方分権といった言葉より、疫病や災害といった行政単位をまたぎ「生きられている空間」での法的作用の議論が必要に思う。

そうなればこそ、行政単位と生活への法や行政の作用が一意の効用として議論されるだけで無く、人文地理や社会学、地方行政学と交差する

「法空間」についての学の必要性が問われると考える。