工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

操作が簡単になることの恐ろしさ

もっと簡単になったらいいのに と操作について 例えば機械とか いろんなものとか まあ例えばこんな簡単な こういうことができます みたいなことを言うわけですけど実はあまり 感心しないところがあります

 

最近ネットで話題の仮想通貨ですけれども 原理がわかっていなくても 投機的に買う人がいます このこと自体は これが投機商品ならいいのですけど 原理そのものがわからない ということを 結構皆さんいうわけです

 

これと同じようなことか 実はシステムとかコンピューターとか スマホとか ほとんどの物事が とても実はお金に関わったりとか 価値に関わったりとか プライバシーだったりとか 重要なことをやっていたりするんですけれど そういう事って原理がわからなくても 操作できるようにどんどん簡単になっていくときるようにどんどん簡単になっていくと 実はどんどん危なくなるなあと 思うわけです

 

もちろん高度に洗練されていて セキュリティもバッチリで 完全な安心 ということ はある程度はできるんですけど 本当はそれは かなり難しい というのが 機械文明の結論だったりします

 

そういうことなので 私は自分自体であまり原理がわからないものは 使わないようにしています もちろん皆さんが便利さを享受するなとかじゃあお前は全部わかっているのかと言うとそういうことを言いたいわけじゃないんですけれど という風にリスクとリターンを考えるか これが急に技術の話になると 簡単になれば良いという話に 落ちるところにすごく違和感を感じるわけです

 

というところなので もちろん何でもかんでも怖がって リスクばかり考えてもしょうがないんですけれども 後使い慣れたわかりやすい道具 だけを使っても現在は生きていけないんですか竹を使っても現在は生きていけないんですが もう少し原理に気を払ってもらってそれがどのように簡単になっているのか じゃあ簡単になる前は どうなっていたのか そういうものを学ぶのも 結構リテラシーだなあと考えたりします

いわゆるポジティブさについて

ポジティブという言葉は 社会文脈的には単純に解釈されすぎている気がします ポジティブというのはある程度の心配をしながらも 前向きに進行する ということを 含んでいなければならないと私は考えています

 

ポジティブさと 楽観さ などは 生きていくのにとても重要な要素ですけれども それでも それらを支える知恵がなければ 単なる愚か者に落ちてしまうかもしれません 正直さポジティブさ 楽観 は 文句だけ言って言ったり 何もしないよりは遥かに良い態度です ですけれども では何もしなくても時間は過ぎてしまうので 最低限の 心配はしながら ポジティブでありたいと私は考えています 否定と肯定を対立させるわけではなく 肯定できる知識を 肯定できる知恵を きちんと持ちながら 考えを進めていきたいと思っています

スピリチュアルのもうひとつの問題点について

いわゆる疑似科学の問題として スピリチュアルが問題視されることがたくさんあります 特に医療 あるいは金銭 そのような問題が すごくたくさん語られるわけですけれども 私は別の観点から問題を感じています

それは多くのスピリチュアルが 非常に個人的で 自己に向かうもので さらに言うと 関係性が何か大いなるものと 自分だけに向けられるため 人間関係の分断が行われることが 非常に多いと感じています

カルトの洗脳の手法として 孤独化個別化 は通常行われることですが 実際のところこのスピリチュアル は 非常に 例えばフェイクニュースもそうですけれども 個人の享楽 あるいは個人のかいらく あるいは個人の利益 にしか還元されないことが非常に多い そうでなくても一見社会的に見えても それは自分のエゴの 達成であって 本来は連帯をしなければ 解決できない問題を 何か一つのことに集中させてしまうのです

私はもうひとつの問題 はそこにこそあるのではないかと思っています

再びオープンダイアローグを考えることについて

とても仕事が忙しいのですけれど 合間を見てオープンダイアローグを もう一度読み直しています

なぜかと言われれば これがおそらく 今インターネットで様々な分断といわれるもの に対して ある種の有効性があるのではないかと考えているからです

例えば包摂とか 寛容とかはある種の美辞麗句は並ぶわけですけれども それでも具体的にはどうしたらいいか本当のことだけ相手へ 伝えたところで押し付けたところで強制したところで どうにもならないわけです

私自身はオープンダイアローグを 決して精神的な治療の問題と 考えるわけでなく ある種の社会における 介入と融合の過程と考えています そしてこういう方法論がなかなかないのが 今までの 情報がたくさん増えすぎた民主主義の 一つのバグだと考えています

だから私自身は オープンダイアローグが 問題を解決するに留まらず いわゆる treat あるいはフリクションロス を インターネットにおける民主制を確立するための一つの方法論として考えたいと思っています もちろんこの方法だけではありませんが その一助というのが 精神医学や心理学であるというのは 議論を待たないかと思います もしかすると 社会学政治学だけが 炎上頻度が高いというのは あながちわけがないわけではなく その正当性について各人の思うことが 異なっている状況を 止められないということになっているのかもしれません

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