工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

マリーと森まゆみさんのこと

『主婦マリーがしたこと』という映画は、ほぼリアルタイムで鑑賞していた。一体どこの映画館でみたのか。ル・シネマかどこか。とんと思い出せない。まだ映画の仕事をする前だったから試写会でもサンプルでもないのは間違いない。

 

https://allreviews.jp/review/4039

 

内容は森まゆみさんのこの書評にあるように(森さんが書かれたのは90年代らしい)今は2020年だからほんの70年ちょっと前、ということになる。堕胎を請負い死刑になった第二次大戦中、フランスの女性の話である。

記憶をさかのぼると地味な映画だった。

有名な監督だったせいか、主役のせいか、その頃学んでいたジェンダーのせいか、見たきっかけは思い出せない。

ただナチス占領下のフランスで、その後フランスにはそこそこ詳しくなるのだけれど、ナチへの協力者とレジスタンスの話ばかりの歴史の影で妊娠中絶を行うことで豊かになり、生活が変わり、やがて裁かれるこの婦人の話が表向きの戦いの最中で生々しいものだと思ったのは確かだった。

女性の自己決定権とは全く関係なく、日本での堕胎は明治からしばらく違法になったが延々と合法だった時期の方が長い。

水子地蔵を見る度に、頭では知ってはいても複雑な心持ちになる。

マリーは日本なら死なずに済んだだろう。その分、成り上がりもしなかっただろうが。

 

この映画を見たかなり後、もう森まゆみさんが谷根千ミニコミ誌を終了する頃、わたしは谷根千の住人になった。

 

この映画を見た頃はまだわたしは横浜の住人だったはずで、それもあまり綺麗な街並みの横浜ではなくて、雑多な中にいた記憶がうっすらある。今は漂白されたようになったあの街が全くわい雑だった。それが好きだったのかどうか。ただ今の真っ白な街並みだったらきっと住まなかったろう。

 

彼女が一介の主婦からミニコミ誌を立ち上げ、文筆家になる間のこの地域のことは元からの住人に聴くより他知らない。

 

森さんは谷根千の観光地化に反対していた。

しかして、後の住人であるわたしにとっては適度に観光地として潤う商売人さんの話を聞くにつけ、下町の上•山手の下であるこの土地に人が来るぶんにはそれ程反対もできないと考えていた。新しい住人だったからかもしれないし、取材お断り常連だけの店主たちの意地を見ていたからかもしれないし、観光客であってもそんなに他人行儀ではないこの街の馴染みの良さが好きだったからかも知れない。

 

不忍通りにやたらと低層マンションが建つのには閉口したから、どれもそうだったし、そうでない部分もあったのだろうと思う。

 

前に住んでいた築50年過ぎの水道の配管がイカレてサビ水ばかり出たアパートもすっかり綺麗なマンションに変わった。

 

この谷根千もすっかり変わったと言いたい所だが、あいも変わらずチェーン店も大型店もないし、どっこい古い店も生き残ってやがるし、新しい店は現れて消えるし、何年も通ってない店の店主と挨拶する。談志を見ることはなくなったが。

 

変わったといえば観光客に外国人が多くなって、コンビニは増えて、水があふれることもなくなって、もともと住むところは限られてるからマンションの分ぐらいしか人口は増えてない。家賃は高いし、山の上は豪邸なのはあまり変わらない。古い店がのれんや店構えを新しくしたり、ワゴンに気の利いたお土産物を置いてみたり、一代で辞めてしまった店は有るけれども。

 

そんなこんなで、わたしはたまたまこの土地に住んだに過ぎないが、東京暮らしのほとんどがここということになった。

観光地と言っても何がある訳じゃなし、とは言え人を惹きつける細々したものはあって、訪問者も住人も商売人も適度に入れ替わる。

だとしても。すっかりと街ごと漂白された横浜のどっかとか、再開発の東京のあそこやそこここに比べたら、ほとんど変わってないのではないかとすら思う。

川向こうの吉原にはマリーみたいな人は江戸の頃から沢山いたろうし、森まゆみさんは今の谷根千をブーブー言うと思うけれど、パリのそこかしこがクリーンになったり、ある所は移民街になったりするのと比べるとドラスティックに変化してないこの街は、やっぱり何か、そういう運命に導かれていると思うのだった。