工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

無印とUNIQLOの違い(大型店にて)

特別な訳がありそうで、よく分からないがUNIQLOは買わないが無印良品は食品から何からよく買う。

 

よく買う=よく行くということで、近場のお店は上野かアキバか銀座ということでその三つにしばしば出かける。最近お気に入りのMUJI Labは上野マルイか銀座しかない。

駐車場も楽チンで、買いやすかった有楽町店。元々タカラヅカ劇場の仮の建物だったものが、そのまま使われてしまった、その有楽町店は無くなり(本当に残念)、その後継の銀座店はホテル併設で小洒落てはいるが、何せ縦にエスカレーターで移動しなきゃ(有楽町店はだだっ広い2Fと3Fだけだった)いけないこともあり、休みなんざ行くとヒト芋洗でツラい。

かと言ってUNIQLOは全く買わないが通りはするし、品質チェックと称して縫製や布パーツの点数、コラボなんかは見による。

 

前置きが長くなったが本題だ。

UNIQLOの店にはUNIQLOっぽい人はいないが、無印の店にはかなりの割合で無印っぽい人がいる(客に)。

何をもって無印っぽいのか。UNIQLOっぽいのか。

まずは無印っぽさとは無印の店員さんなんじゃないの?って思われる客が多い。全身無印なわけはないが(店員ですら)そのように見える男女が多い。まったくもって主観的なものであり、かつ、根拠レスだ。

UNIQLOっぽさ。と言われても。店員さんもお客さんも。根本的に良くも悪くもフツーである。このフツーというのが国民服を目指してるUNIQLOらしさだとも言えるし、UNIQLOは服屋なのでバリエーションも多いし、色も多い。全身UNIQLOでも、なんだかんだと多様にも思えるが、単なる個性なしとも言える。モデルが飛び抜けてカッコイイ外人だったりするのも服より見た目って感じがさらに普通を見せつけられる。

 

無印民は良くも悪くも地味である。大体、あんなに色味がないだけでも分かるし、ほかのブランドを合わせてても地味である。地味なんだけど帽子は目立つとか時計はデザイン物とか、メガネがデカいとか。。。地味な中に謎の主張を感じる。実際あるのもよく見かける(私がそうだ)。それが無印の店員だし、無印の客である。そうかと思うと、地味の中に形だけ謎のデザインチックな洋服(ワイズとかギャルソンとかイッセイは確認)も合わせてたりして侮れない(根拠レスだがベレー帽をかぶってたらそいつは無印だ)。

 

というような違いがあるので、服屋ではライバルなのかもしれないが、どうもその空間に居る人類の種類が違うので闘争にならない(日経的に生きてる人は知らん)。

わたしがMUJI Labが好きなのはユニセックスなことだが、そんな服はUNIQLOにはない。

徹底的にマニュアル化されて、どこを切っても世界中どの店に行っても無印は無印(ある意味、ある程度の無印民を含む)だが、銀座のUNIQLOと足立区のUNIQLOは客層が違うし、売ってるモノも違う。

 

子供の頃から紆余曲折を経て、無印に調教された私だ。機会があったら無印マブラブ(正確には離れたり、またお熱がぶり返したりしてる)の理由でも語るとするか、が今ではない。

とりわけUNIQLOで服を買わないのは、ブラック労働環境だとか色々あるにせよ、あの風景になじむ客になりたくないってのは確実にある。いや、きっとそう。買ったものが人とかぶるとかそういうんじゃなくて、UNIQLOの店舗の中の匿名性にきっと耐えられないことが主眼であるように思う。服屋は決して必要のためだけに行くわけじゃないしね。