工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

壁の向こうにいた男

壁の向こうにいた男と20分ほど話した。

壁の向こうとは(わたしは直接そう言わなかったけれど)刑務所のことだ。

2人きりで20分と言っても特別な場所じゃない。タクシーの中。自宅前の不忍通りから職場までのほんの僅かな間である。

 


かつて仕事でそういう方に会うことや話をすることはあったが忘れるぐらい過去のことだし、その上、そういう話は御法度で、こちらも聞く内容が決まっているのでフリースタイルトークと言うのは初めてだ。もちろん法人タクシーという安全圏なので取材なんかよりはるかにリスクはない。が、やはり緊張はする。NGワードがよぎる。

 


何故壁の向こうに居たのかがわかったかと言うと、人相が悪いので眉毛にスミを入れようかと思って、と言っていてアートメイクですね。と返したら彼は簡単なんだよ、割り箸を尖らせて墨汁をつけて傷つければ良い、と言っていて。スミなんてカタギはあんまり言いませんし、そう言うのは小菅の方で(小菅は東京拘置所である)男性器の先に(実際にはもっと直接的に言った)歯ブラシの削った奴を入れるみたいですね。もちろん拘置所は未決囚や死刑囚が入るとこであるが、彼は70代と思しき人で今時の言葉で言えばイキってる可能性もゼロではないから、執行猶予を食らってる可能性から低めのハードルを言った。ブラフでもある。

刑事犯は過去の犯歴を大袈裟に盛ることがある。

聞いても流す。これは過去、先輩に教わった知恵だ。

が、その会話で彼の中で何がリミッターが外れたのか核心を話し始めた。

もしかしたら私も仲間だと思われたのかもしれない。が、光栄なんだか何だかの判断は停止した。

 


お客さん、あそこは拘置所だよ。きちんと刑務所だよ。

 


知ってる。と思ったけれど。黙ってうんうん聴いて話しをそれとなく促した。

 


彼は20代から30代の頃、実刑を8年食らったそうだ。逆算するとおそらく昭和末期、暴対法の初期。最期の諸々事件はなやかりし頃だろう。もちろん、彼がその道の人かはわからないが。

模範囚で刑期が早まった8年なのか、諸々の態度で伸びたりの釈放なのか。また頭のわきで計算をはじめたが、残念ながらその時期の8年が何の罪状なのかわからない。

少なくとも傷害以上ではある、最悪、傷害致死、殺人犯とは認識した。もしもスジの方同士だと裁判によっては量刑が軽いこともある。

 


いやー。あの頃だったから良かったけどさ。8年で。短くすんで。

今なら(刑期が)倍か、下手したら今なら無期もあったんかなぁ。

 


と仰せである。ここで殺めてしまったのか、そうでないのか気になったが、そんなこと質問しても仕方ないのでそのまま傾聴した。

 


聞けば、今は年金暮らしで半年タクシーで稼ぎフィリピンで半年暮らす生活。マニラから少し離れた治安のかなり悪い場所に妻と11才の娘がいると言う。

 


フィリピンの女性は情が深いと言いますよね。と毒にも薬にもならない返しをした。

 


こわいよ、うちのカカァは怒鳴って怒ってばっかだよ。娘は可愛いけどなぁ。治安が悪くてなぁ。日本人なんていないよ。

 


この老人運転手。英語もタガログ語も。。。おそらくカタコトしか出来ないだろうから、日本に働きに来た女性とあっちに行ったのだろうか。娘さんがまだ小さいのだから年齢も離れているのだろう。それだけでもわたしには情深く思えた。

 


坊主頭の運転手にわたしも同じ髪型ですよー、と帽子を脱いで言った。

運転手はミラーでわたしを一べつすると、お客さんみたいに剃れねえんだよ。会社がよ。短くても生やしとけって言うの。ほら、客商売だから。

 


そろそろ、わたしの職場に近くなった。

深入りできもしないし、しようとも思わないが、いずれにせよ時間切れだ。

 


運転手さん、がんばってねー。などと少しのチップを渡すと振り返った老人は色付きの細メガネ、坊主に細く揃えたヒゲの、年齢を考えなければ過去の(むしろ懐かしい)現役の姿が垣間見れた。

 


運転手に話を聞くことは趣味だ。だからと言ってここんとこコンプライアンスやクレームの多いタクシー業界。過去にはこう言う方々が多くいたそうだが、今や絶滅危惧種。むしろレアもレアである。

 


蒸し暑く、何もかもが匂いたつ湿気。その夏のフィリピンを避け、彼は冬には家庭に帰るのだろうか。

 


少しキツネにつままれたような不思議な乗車体験と会話を、東京に何万台もあるタクシー「その」一台で味わった。

 


まだ幼少の娘さんが無事成人すると良いな、とだけ祈り、軽く会釈してわたしは車を後にした。