工場長の考えてること

工場長の考えてることを脳みそ直だしです。

ネットで争うということ、抗うということ、あるいは和解について

過去には大型掲示板、現在ではSNS。大きく分けてデマ、あるいは見解の相違。これは主に健康や安全、陰謀、アメリカではオルタナティブファクト。日本ではフェイクニュース。というものがあります。WELQや民間療法などから政治まで幅広くあります。もう一つは政治、あるいは思想、フェミニズムや性被害ジェンダー、ヘイト、外国人排斥などの考え方の異なるものがこういう対立というのか、分断と言うのか。あるいは争い、叩き合い、が進んできてしまっています。

 

もちろん全てにおいて正しいと言うことがない以上。これは科学的証拠であれ、歴史的、或いは政治的、思想的。全てにおいて暫定的な正しさしかありません。暫定的な正しさと言っても様々な研究者。或いは標準医療や、プラセボ、ノセボ、などは確率的統計的な暫定の正しさはあります。

また歴史や思想においても研究によって、こう言うことであろう。というものはあります。民主主義や資本主義という日本の根幹的な価値を真っ向から否定できる方はいないでしょうし、ヘイトや差別は法的にも禁止されています。

 

私の志向はツイッターなどを見ていただければ分かると思いますが、ここでは触れません。

 

ここで取り上げたいことは、考えによらず議論に向かない、或いは深まらないSNSでどのように和解や対話による最低でも分断されない、また実害を及ぼしそうなものについてどうしたら良いのかです。

 

私の悲しく思うところは考えによらず、強い言葉で相手を組み伏せよう、叩こうという意思が見られることです。また断片では語り得ぬことが誤って伝わり、また叩くというところに向かうところです。もちろんフェイクを流すものも大きな影響を与えてしまっていますし、メディアは都合の良い時だけ信じたり、信じられなくなったりします。

 

文字は意味を伝える時に肉声は届きません。また時に感情的になることもあるでしょう。そして、事実というのを一つとっても様々な解釈が可能でそれを阻害することは難しい。

 

それではどうしたら良いのか。私の一つの考えは対話、ダイアローグが文字によらず匿名でも構わないのですが音声や他のニュアンスで交わされることです。

忙しい現代でどんどんメディアもメッセージも短くなりますが複数人による対話、せめて肉声で語られ聞くなら少しは解決の糸口、あるいは暴言妄言は減らせるなどのチャンスが掴めるように思うのです。

 

今、私の仕事では直接これは出来ません。また肉声でもどのような進行、司会の人、仲介者、などが必要になるでしょう。そして、これらについてある種の投げっぱなしからやり取りへの移行をいつかやりたいと思ってます。

広義にはこれは福祉かもしれませんし、社会問題の解決かもしれません。

しかし、このストレス社会においてあらゆる不条理が蔓延する日本社会でどのように和解の場をネットで出来るのか。ずっと考え続けています。

もちろん出来るだけ正しいことを伝え対抗言説を行なっている人はいます。しかし、正しさこそに反発している方にそれは届くかというと少し絶望的な気分になります。

 

コミュニケーションの非対称が生み出す憎しみの連鎖をどのように包摂し、少なくとも話すことが可能になること。

これがソーシャルメディアに求められているように考えます。

ニュースサイトでもなく、メディアでもなく、説得でもなく。そのような包摂を夢見ていますが、今時点で私が全てそれに配慮したものを考えついている訳ではありません。

ネットが続く以上。これは私の中で考え続けなければならない宿題と考えています。